僕が高校2年生のときである。
僕と友人Aは夏休みに家出をした。
お金がなかったので、公共機関を使わないヒッチハイクという手段を取った。
当時、電波少年というテレビ番組でヒッチハイクで貧乏旅行をする、
というのをやっていて、その突飛なことに対する憧れもあった。
早朝、僕らの住んでいる熊本から出発し、
福岡にいく車を捕まえ、福岡に入り、
そこから何台かの車を乗り継いで、
広島にたどりついたときには夜の12時を回っていた。
その広島で、グネグネとうねる山道を120キロでとばす車にのせてもらい、
恐怖におののきながらフロントガラスの向こうを見ると、
空が赤々と燃えているのが見えた。
山火事だ。
車は山火事の現場である山の手前で停車した。
運転手は「広島ではよくあること」と言った。
僕はその言葉でその人を、何故か恐ろしく感じてしまい、
しばらく進んだ尾道で降ろしてもらうことにした。
尾道の夜道をとぼとぼと歩いていると、
そこへ一台の車が通りがかった。
尾道に住んでいる夫婦の車だった。
二人は疲れきった僕らを乗せてくれ、なんと自宅に泊めてくれた。
その上、風呂に入れてくれて、食事までごちそうしてくれたのだ。
だが、その食事は・・・残念ながら私たちの口には合わなかった。
その夜、見知らぬ家庭の布団の中で、
僕は無性に母が作ってくれるご飯が食べたくなった。
次の日、僕らはどちらともなく「家に帰ろう」と言い、
その日の夕方には地元の駅にいた。
あの尾道での食事を僕は今でも忘れることができない。できない。できない。